60% water

ヒトのからだの60%は、水で出来ている。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

やまいは気から

『いよいよ宴が始まる。』

と書いてから、半年以上経った。

4月も今日から中旬に入ろうとしている。

世間は…いや世界は東日本で起こった大災害がニュースの中心。

恐ろしい大地震に、大津波。あらゆるものを飲み込んで、それでいてまだ恐怖心を植え付けたまま、何度も何度も群発的に東北地方を揺さぶっている。



このページは、僕を中心としたジャーナルの発信地。

いやもう、これだけ更新が鈍ると『ジャーナル』なんて名乗ってはいけないんだろうが、それはさておき。

僕は中日本にいる。だから、震災の被害には幸運にも巻き込まれていない。

日本が揺れているさなか、なんと37歳になってしまっていた。

37歳。

どういう年齢なのか、さっぱり。

加齢することによって、徐々に精神がじんわりと成熟してきているのは何となくわかってきた。あとは子供ができれば、きっと本物の大人の世界へ踏み込めるのだろう。それはいつの日になるのかは分からないけど。

心の成長と反比例するかのごとく、肉体は老化していく。

筋肉痛がより遅れて体にあらわれるようになった。

息が切れると元に戻るまで時間がかかるようになった。

あざができるとなかなか戻らなくなってきた。

そして、病気。



幸運にも、ここまでの人生で将来を不安視させるような病には一度も遭ってない。

ところが、こないだの水曜日。

朝からなんだか、右目にゴミでも入ったみたいにゴロゴロしたものを感じていた。
そもそも花粉のシーズンなのであまり気にとめてなかったんだけど、仕事が終わって休憩をしている最中、そのゴロゴロ感が増していることに気づいた。それでもあまり、気になるレベルにはなってなかった。

家へ帰って風呂へ入り、ビールで仕事の垢を落とす。これも毎日の恒例行事。
普段より疲れていたせいか、その日は夜の9時半にはもう、床の中。
目が覚めたのは、2時10分。

目が覚めた、という言い方は正確ではない。
右目の違和感が異常になってきて、うなされて起きた感じだ。
寝返りをさんざん打った。寝る体勢を変えれば、眠れるんじゃないかと思ってのことだ。
目をかきむしるわけにもいかず、仕方なく布団からはいずり起きて、目薬を差した。
これも効果なし。
ならば…と、目を洗った。
目を洗浄するための薬があるのだが、もうこの時点で目に何らかの異常が出たのだ、ということは感じていたので、薬は使わず、目を洗うための器具だけを拝借し、真水でさんざん洗った。
気持ちだけ何となくすっきりしたので、また床に就いた。
けど、症状はかわらず。徐々に徐々に、ひどくなっていく。
右目だけ、涙が止まらない。
こんな症状は初めてで、とにかくずっと、右目だけ涙が流れっぱなしなのだ。
ずーんと鈍い痛みが常に右目を襲ってて、絶えず涙が流れて。
こんな状況が続いているのに、眠れるはずがない。
ついに窓の外には朝日がうっすらと昇り始めた。

あきらめて起きて、カーテンを開けた。
薄明かりのはずの朝日がまぶしくて、右目を閉じた。
それ以降、右目を開くことが困難になってしまった。
それどころか、じゃあ左目だけは開けていられるのかというと、これも難しい。
片目を瞑る状態が、どうも右目を刺激するみたいで、基本的には両目を閉じた状態、外の状況を確認する場合はわずかな時間だけ両目を開けるしかなかった。

これでは仕事にならない…と判断した僕は7時前に班長へ電話を入れる。
状況だけ説明して、病院へ。
明らかに腫れ上がっている右目をタオルで覆い隠し、年老いた母に手をひかれて病院へ行った。
木曜日だったので、行きつけの眼科は休診。
目の見えない僕に代わって妻がケータイのウェブで見つけた総合病院へ行くが、ウェブに載せてる情報と現状は違って、木曜に眼科の診察が行われるのは第2木曜のみらしく、つまり第1木曜の今日は休診。
随分待ったのに、心ない言葉を浴びせる病院職員。
さっさと別の病院へ。だって、医者が来てないってのに長居は無用だもの。
患ってる僕としては、どうでもいいから早く診てほしいだけで、時間を増すごとに徐々に悪くなる症状を一刻も早くとめたかったわけで。

木曜にやってる眼科を2つ以上抑えていた妻のファインプレーにあやかり、職場近くの眼科へ。
空気を察してくれたのか、他の患者を差し置いて先に診てもらった。

診断の結果は『ヘルペス性角膜炎』。

その時点ではよくわかってなかったけど、けっこうギリの状態だったみたいだ。
角膜に傷がついて、そこからヘルペスウイルスが侵入、そんでもって角膜内で繁殖しちゃった…という、症状。
3種類の目薬を貰って帰った。
帰るついで、職場へ寄った。
職場は今、たいへんに忙しい。
そもそも人が足らなかったところへ春の人事異動でベテランが抜け、その土地を全く知らない人が入ってきたため、もうてんやわんやだった。
そんななかの突発欠勤はめちゃくちゃ申し訳ない。申し訳ないけど、目も開けられない状態では正直仕事にならない。邪魔なだけ。
職場へ顔を出し、早速班長と遭遇。
たまたま班長と一緒にいたのが新しい課長。
まだ着任して日も浅いため、僕が誰なのかはすぐに認識できなかったようだが、僕の目を見てすぐに悟ったみたいで、「大丈夫か!?」と、言葉をかけられた。
見ての通り、大丈夫じゃないわけで。診断書を渡して、帰る。

医者の話では、薬が効けば2,3日で仕事に復帰できるんじゃないか…という判断。
実際、薬はかなり早めに効力が出た。
けれどもさすがに、次の日は右目がまだまだぼやっとしていて、バイクを乗るだなんて、絶対に無理な状況だった。
金曜、朝に電話を入れ、休む旨を伝え、そのまま体を休めた。
金曜日にぐんぐん回復していくのがわかった。明らかに具合は良くなっている。
これならば土曜は出勤しても大丈夫そうだ。内務作業くらいならやれそうだ。
…と思っていた金曜夜、班長から電話が。
ずっと休み続けていた人が出てきたらしく、そのおかげで土曜日の人員配置は足りてる(新しい人がまだ慣れてないことを除けば…の話)から、そのまま土曜も休んでじっくり直してください…と、そういう連絡だった。
状態が100%ではないので、助かった。

…で、土曜日の今日。
せっかく休みになったので、また医者へ行ってきた。
眼圧もだいぶ下がって、状況も予想してたよりかなりいい…という診察結果だった。
ただ、再発する可能性の高い病気なので、覚悟して付き合うように…とも言われた。

…で、いま。
確かに回復してはいるんだけど、どういうわけか、右目は患った直後に比べると、なんだかぼやけている。
見えてるだけマシなんだろうが、右目だけで何かをみると、まるでひどい乱視を患ってるみたいに対象物が何重にも見えてしまう。
3種類の目薬のうち、一つは軟膏薬なのだけど、これをぬると、そりゃあ角膜の前に軟膏薬の膜ができるだろうから、そうやって見えるのかもしれない。

このまま悪化すると、こりゃちょっとやべぇな…って、思ってる。
いや、仕事を変えないといけないなぁ、って。
バイク乗る仕事は、目が見えてこそ。
いや、そりゃあ、目の見えない状態でできる仕事なんて、ごく僅かしかないだろうけど、失明しちゃうわけではないし。
要は、最悪片目だけでもできる仕事って何かなぁ…って、考え始めた。

…なかなかないねぇ。

病気になったもんは、しゃあない。あとはこいつとどうやって付き合っていくか、だ。
治るかもしんないじゃん。ねぇ。

野球、できるかなぁ。
うどん、食えるかなぁ。
…うどんは食えるか。そこまでの交通手段に障害が出るかもだけど。

おお、うどん屋を始めるってのもアリだな。

どうせやるなら、楽しい仕事したいよね。
儲かるけど嫌いな仕事より、食える程度の収入で楽しい仕事をするのが理想。

右目が見えなくなっても、みんなよろしく頼むぜ。…いやまだ見えてるけど。もやっとだけど、いちおう見えてるよ。

今後も明るく生きていくのが目標です。どんな状況であれ。
スポンサーサイト

行動記 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<いのちはたいせつに | HOME | 運転(BlogPet)>>

この記事のコメント

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。