平成21年の幕開け。2009-01-02 Fri 01:31
謹賀新年。
新年を迎える…ということは、無事に旧年を終え、新しい世界の続きを見れるということ。 それは喜ばしいこと。 時間というものは絶えず動いているように見えるけど、少し違う。 いや、相対性理論を持ち出して、時間は普遍的なものではなくて、光の速さこそが不変である云々…ということではなく。 少しは相対性なんとかと関係あるのかもしれないけど、時間というものは、主観でしか存在しない…ということ。 寝ている間、自分の時間は止まっている。 自分の時計が動き出したら、少しだけ世界が変わっていた…という、毎日。 寝て、そのまま起きることがなければ、永遠に時間は止まったままなのだ。 だから僕らは、毎日、その危険を味わいつつも、無事に次の日に自分の時計が動いていることを確認して、しかし然して代わり映えのない未来を迎える。 代わり映えないからこそ気付かないけど、突然途絶える危険性を毎日はらんでいる中、一年が過ぎたのだ。 そんなことをちょっとだけ考えたりすると、新たな年を皆が迎えたこと、謹んで賀したくもなるわけです。 ☆ 新年早々、ピエール博士が朝から来た。 キャッチボールをした。いつもの公園で。 ピエールは帽子だけピンク。俺は上着だけピンク。はたから見れば、オカシないでたちの30代男性二人。 1時間弱、キャッチボール。 終わって新百合ヶ丘のウェンディーズでランチ。 飯食いがてら、30分ほど話し込んだ。 ピエールも今、岐路へ立たされているということがわかった。 同世代として、そういう年齢なんだろうか。…と、ふと思う。 11月にフクちゃんと鶴川で飲んだ時も、先日、キシコの新居へお呼ばれした時も、近い感触を感じた。 ほかならぬ俺だって、いろいろと悩んだり考えたりすることが多いけど、自分が心がけようと思っているのは、二つ。 ひとつは、できる限り、身の回りにある、あらゆる事象を極力シンプルにとらえること。 もうひとつは、環境が変わっても、自分らしさを保っていこう…ということ。 そうすれば、自ずと進むべき次の場所が出てくるんじゃないかと思う。あれこれ迷った時は、最後に信じられるのって、自分の感覚だもの。 どちらへ行こうかという迷いの心を定めるためのある程度まではロジックで詰めることができても、どっかから論理破綻が生じて、結局最後は感覚頼み。 ならば論理的思考の追及は極力シンプルにしてしまって、あとは『なんとなくこっち』でいいんじゃないかと思う。 俺が実家へ帰るという判断を下したのも、最終的には自分の感覚だった。 だからその感覚を信じることにしている。 向こうへ戻ってやるべきこと最優先は、親孝行。←うむうむ、シンプルな大目的の置き方。 親と同じ時を刻んでいられるのも、そう長くはないと思うし、ならばなおさら、早いうちに近くへ戻るべきだろうと思ったからだ。←ううむ、シンプルロジック。 長島町が東京湾に移動してきてくれるのが、ベストなんだけど。←おお、論理破綻。 ピエール、持前の地学アビリティを駆使して、長島町を東京湾へ移動させてくれ。←ほんの少し期待。 百歩譲って相模湾でもいいや。←ほんの少しの期待の確率上げ。 ☆ ピエールと別れた後は、職場へ。元旦とはいえ、午後から仕事だったのだ。 ここの職場は、新年を迎えられない。2008年12月32日。 俺は明日、2008年12月33日を以て、やっと年越し。おそば食うぞ。お酒飲み倒すぞ。 …ってなわけで、2日、暇な人、俺に連絡頂戴。 夕方から呑もうよ。 今日の仕事帰り、オーツキさんと話し込んでて、話してる内容はいつもと一緒で、音楽と映画の話なんだけど、いつもと一緒だったからなおさらなんだろう、『ああ、俺って、ここにあと3カ月しかいられないんだ』って思っちゃって、なんだか急に胸が締め付けられてきた。 というわけで、おい、飲みに行くぞ。行くったら、行くぞ。 鶴川のベースキャンプの生ビール一杯無料券、年を越してしまったせいで期限切れになっちゃった。うむう。 ってか、2日はたいてい、みんなは家族親族と過ごすのかね? いやあ、そういうことなら、家族と過ごしたほうがいい。 家族って、大事だ。 んま、俺にとっては『extincts』って、それに近い存在なんだけど。 支離滅裂で申し訳ないが、要するに、あけおめことよろ。 今年はどんな年になるんだろうねぇ。まったく予想がつかん。 |
この記事のコメント |
コメントの投稿 |
|
|
この記事のトラックバック |
|
| HOME |
|



