60% water

ヒトのからだの60%は、水で出来ている。

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Genius standard

世の中のニューストピックの移り変わりは目まぐるしく変わるもので。
その速さたるや、34歳の私にはちょっと速過ぎるくらいです。

今日のトピックは、リア・ディゾンのデキ婚についてではなく。
中国産冷凍食品に毒素混入でもなく。
いまさら感が出てきた、ノーベル賞についてです。

先日、ノーベル物理学賞で3人、化学賞で1人、合わせて4人の受賞者が出ました。
日本人として、誇らしい快挙なわけです。
一年に一人出ても快挙なノーベル賞で、4人も出たのですから、そりゃあ、すごい。
無論、ノーベル賞を獲得した、各研究者たちの取り組みの詳細とその有効活用手段なんて、これもまた、世間のニュースでちらっとやってた、さわり程度のことしか知りませんが。
賞を取った…という結論だけで、中身も知らず「よくやった!」と拍手する私のいかに凡人たるや。
…ああ、皆様も一緒でしたか。ホッとしました。

そもそもノーベル賞を取ったのだから、他にはありえないこと、且つ今後の社会に大きく役立つ何かであることは間違いないものなのでしょう。
だからこそ、そこへたどり着くには、他人と同じことをやっていては到着できないわけで、となると、すべてが初めての試み…幾多の失敗を繰り返し、迫りくる苦難の連続を一つ一つ乗り越える様はきっと、前人未到の雪山を攻略するに近いことなのでしょう。

だからこそ、結論だけで「あなたたちは天才です」と、凡人の我々も言えるわけで。
天才のやってのけたことを、後追いで一生懸命勉強したとしても、彼らが行った研究の真髄を理解できる場所へたどり着くには膨大な努力が必要でしょう。
となるとつまり、彼らが『天才』である所以の100%を知ることはできないわけで。
我々凡人は、他者の評価からでしか、天才というものを理解できないのでしょうか。

4人の受賞者を見ていて、ある共通点を見つけました。
『ヘンな人』であるということ。
例えば記者団に囲まれての取材応対などを見ても、どこかピントのずれた答えがあったり、突然鳴った携帯電話に出てみたり…と、おおよそ普通の社会性を持った人間には見えません。
マナーモードにしとけよ…ってか、出るんかいっっ!ってな具合で。
今風にいえば、KYってなところです。
一様にKYな感じを持っているのは、どうしてなんだろう…と、ふと考えてみました。
たまたま受賞者がみんなそもそもそういう人間だっただけの話である…ってのは、確率論から言うと、すっげぇ薄い確率なわけで、となると間違いなく何らかの共通要素を天才な方たちは共有していると考えたほうがよっぽど賢明なわけで。

そもそも『変な人』というのを定義付けるのもまた難しい。
一言でいえば、極端なマイノリティであり、所謂『常識』から遠い行動理論を持つ人というのが一般的なところでしょう。
もちろん、『常識』という、形のありそうでないものは、あまり定義の中に盛り込むべきではないのだけど、この方がわかりやすいので。

昨今、『フツーの人』を探すほうが難しい時代、みんなどっかしら難癖を持ってる人がいっぱいいるわけで。
うちの草野球チームだって、i-Fightersにしろ、Extinctsにしろ、変なヤツばっかり。
i-Fightersには若干名、フツーな人もいるとは思いますが、ほとんど変なヤツ。Extinctsに関しては、そもそもコンセプトがアレなので、論外。

だからと言って、それらをみんな『天才』と呼ぶわけにはいかないわけで。
天才は、めったにないからこその天才なわけで。
そう、とっておきの変人なのだ。
ピエールクラスの。

天才を描いたものとして、『容疑者Xの献身』が。
これも今やちょっと古い話題だけど、今でも映画は公開してるんじゃないでしょうかね。
私は、映画は見てませんが、原作は読みました。
そりゃもう、おもしろかったですよ。
サスペンスものというか、犯人がいて、それを追い詰める側の人間がいて、そこには謎があって、罠があって、最後にはオチがついて…というのは、ジャンルとしてあんまり好きじゃないんです、私。
だけどもあれは、楽しめました。読むのが遅い私でも、一日で読めちゃいましたし。…確か。たぶん一日。忘れるほど昔の記憶でもないのに、忘れています。すいません。

ともかく、そこには二人の天才が出てくるわけです。
追い込む側の天才と、逃げる側の天才。
ともに天才ですが、追い込む才能の天才…逃げる才能の天才…というわけではなく、ともに研究者としての天才が出てきて、その知恵比べ的なことをしているわけです。簡単にいえば。
忘れっぽい私ではありますが、その文中で出てきた、忘れがたい一幕があるのです。(以下、若干ネタばれ)

逃げている側の天才の職業は、高校の数学教師。
彼はテスト問題を作るときに、若干のアレンジを加えます。
それは、幾何に見せかけた代数の問題である…といった、ヒトの持つ既成概念を逆手にとるような問題づくりをするのです。
つまり、「これは幾何のテストなのだ」という既成概念が邪魔をして、なかなか正答にはありつけないわけで、ふと視点を変えてみれば、なんのことはない、代数の問題として扱えば、すぐに正解へたどり着く…というような仕組みを、問題に混ぜるのです。

それを聞いたもう一人の天才が、事件の真相に気付く…のですが。ここは本トピックに関係なし。ちなみに、気づく側のこの人は、変人ガリレオの異名を持つ湯川学さんなんですが。

既成概念を利用してテストを難しくしたわけではなく、つまり、既成概念を打破することによって、考え方の可能性はより広がる…という、教師らしいアプローチで、生徒たちにメッセージを送っていたわけです。

『常識を疑え』つまりそういうことなのです。

なるほど…と思うのは、確かに、研究者たちの変人っぷりは常識から逸脱している…と思うと、妙に合点がいくのです。
物事のとらえ方や考え方を常識的にとらえることなく、あらゆる角度からいちいち多角的に検証しては、捨取選択し、それを繰り返しているうち、非常識人へ変貌していくのだろう、と。…極端かしら。
これに沿えば、つまり常識こそが天才の敵であり、常識を一つ一つ破っていくことから新しい何かが生まれるわけで。
生まれた結果の究極がノーベル賞なり、なんちゃら賞なのでしょう。
常識を捨て去りすぎて、俗世間からは「あの人、なにやってるんだろう…お気の毒に」くらいまで陰で言われてても、われ関せず、常識に足元を絡めとられている我々にゃあ、きっと言語すら違うレベルなのかもしれません。
そんな連中に変人扱いを受けたところで、痛くもかゆくもないのでしょう。社会性?いらないいらない。
だから天才は皆、変人なのです。

…でも、『天才=変人』の公式は成り立つけど、『変人=天才』は成り立たない。
『天才=変人、しかしながら変人≠天才』なのであります。

何が言いたいのかというと、『ピエールは変人である』という論法と『天才は変人である』という論法を、結びつけたくないだけなのね。

今のところ、天才の卵、ピエール君はまだ、ただの変人扱い。
いつか開花して、天才地学博士とかでテレビで紹介されて、取材受けてるその時に俺がかけた電話に出てくれるんだろうか。楽しみだ。

因みに、今回ノーベル賞を受賞した人4人のうち3人が、名古屋大学の理学部を卒業されているそうで。
奇しくもピエール君、おんなじなのです。

期待しています。凡人より。かしこ。
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