60% water

ヒトのからだの60%は、水で出来ている。

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過去と未来の狭間を今日と呼ぶ

またもや久方ぶりの更新。
パソの設定を変えていたら、戻せなくなって3日ほどつなげられなかったと言うのも含み、10日ぶりの更新。

さて。

22日は杉村先生のフライング墓参り。
不思議なもので、何度か行くうちに、墓の場所を覚えてしまった。
かなり広大な土地を持っている霊場なのに、一発ツモ。迷うことナシ。

もうね、お参りの最中に線香の火が風に煽られて燃え上がっちゃって、消そうとすればするほど、状況を悪くする俺。
傍から見りゃあ、ちょっと面白いんだけど、いやいや、「お?い!!」って叫んだって、人が来るとしても随分時間が掛かるであろう、そんな状況で『ひとりスラップスティック』な墓参りを。
みんなが参るときのことも考え、一番汚かった湯飲みだけは丁寧に洗った。
後は頼んだぞ、仲間たち。

先生がこの世を去ってから、3年が経ったわけです。
あれからもう3年も、経過してしまった。
一人で墓参りへ行ったのは初めてで、すごく新鮮な気持ちで参ることが出来た。
帰りしな、いろんなことを思い出したりもしましたけど、何が淋しかったって、『これは過去のことなんだな』って、感じ取れてしまったこと。
杉村先生が死んで間もなかった頃は、死と言うものを実感できていなかった。
一年経っても、実はまだ生きてるんじゃないだろうか…とか、錯覚したり。
だけどもここ2年で私の身にも死にまつわる何らかのファクターが複数押し寄せてきて。
先生の存在感を考えているうちに、それらに頭を振り回されて、それで、気がついたらまた一人亡くなってた。
いやもちろん、人間と言う生き物は、忘れていくことで生きていける生物ですけど、同時に、忘れたくないこともあったりして。
先生との思い出は、いいことも悪いこともいっぱいあったけど、忘れたくなかったなあ。俺の中で、みょうちくりんな美化なんてしたくなかった。あのまま残っていて欲しかった。
もうこれ、過去なんだ。俺の中で。
言葉尻だけ捕まえれば、もちろん『過去』なんですけどね。
でも、きっとそうじゃない。過去と言う言葉は、案外難しい言葉なんだな。



墓参りを済ませると、そのまま新横浜へ。
実家へ帰るのだ。
杉村先生の命日、24日は、今年に限りお義父さんの四十九日。
こちらももう、お義父さんが消えてから50日経過してるのか…と、こちらは逆に、すごく長く感じる。
あの正月にあった出来事が、まるで大過去みたいに。
そう感じた、四十九日。
送る側も、参列者も、澄み切った気持ちで祝詞を上げて、御霊をあちらの世界へと送った。
喪に服す期間を、まずは一段階終えた感じだ。



どちらにもいえるのは、いろんな人から愛された人、あるいは自分が愛した人がこの世から去るってことは、『存在』という言葉の真意を探りたくなるほど、今いるこの世界そのものを疑いたくなる。
でもいつも辿り着くのは、この世界を疑ったって出てくるものはなんもなくて、それでもなお考えを走らせると、時として自分をネガティヴな考え方へ傾かせてしまう礎にもなりかねない。

生きてみようじゃない、出来る限り楽しく。

そういう結論。今のところ。

『楽しく』の定義付けは、これもまた難しいけど、『楽しく』に間違いなく必要なものは『健康』であるということ。

それなりに健康な私はいまから、このブログを書き終えて、明日から始まる四国行脚のためのちょっとした準備をして、眠るわけです。
明日は四国にいるのだ。あはは、ぶはは。

それが私の、わかっている限りの未来。
わかってない自分の未来はさておいて、わかっている自分の未来を、出来るだけわかりやすく迎えることも、大事よね。

わっかりやっすい四国旅行をしてきます?
土産頼む人は早いところ言いなさいよ。
香川と、できれば愛媛にも足を延ばそうかと思っておりまする。


では、行ってきます。
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