60% water

ヒトのからだの60%は、水で出来ている。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

01月31日の楊楊占い (BlogPet)

楊楊が占ってあげるね。

今日は「私事運まあまあ」だよ。
ヤンヤン(私事が1位)はサードでしょう
サードらしいよ。
 
分身が言うんだから、間違いない。

スポンサーサイト
未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 |

予定がたくさん埋められていく快感。

おす。
寒いね、今日もまた。
寒いと、わざわざ寒い夜になにかをやろうとする気が起こらず、毎度毎度、パソコン放置で、暖かい布団へダイブしていた先週から今日までに掛けての私。
昨日なんて、休みにもかかわらず、22時にはもう、布団の中。
奥様からの情報だと、最近の私はすこぶる健康に眠っているらしく(注:筆者は基本的に眠りが浅い上、若い頃から割りとそれを気にしていたりする)、傍から見てても深い眠りに落ちているのがわかるそうな。よしよし。
朝なんか、早く起きたりすると、夜勤の始まる時間まで散歩に出かけたりして、なかなか健康なのですよ。
だからこそなのか、なおさら筆不精な私ですが、ここもたまに書くのでたまにチェックして、そしてたまにはいじってね。

というわけで、久しぶりに感じる日記執筆、先ずは先週から今までの出来事的なことをダイジェストで。



木曜、仕事。寒い。



金曜、仕事。ベラボーに寒い。



土曜。休み。
久しぶりに野球。
実に2ヶ月ぶりに、ボール遊びをした。
ヘルニアの影響はもう、心配要らないみたい。
ノックのときに一度だけ、敢えて思い切り腰を入れてスイングした。
大丈夫だった。スイングになんの影響もナシ。スイング後に腰が痛むようなこともナシ。
ミサイルみたいな打球が、ラインドライブを描いてピエールの横を抜けて、センターの奥へ吸い込まれていった。
って、ノックで野手の捕れない球を打って悦に入る私は一応、このチームの監督。

投げたり走ったりするほうは、寒いからだろうか、あちこちが軋む。
特に肩は、キャッチボール開始後、いきなり痛くなった。
なので無理しない投げ方で通した。
捕ったりするほうは、感覚を忘れてなかったみたいで、思っていた以上に捕球できてた。
少しだけ外野ノックをしてもらったけど、超気持ちよかった。
全力で走ってボールに追いついて、捕球して、投げ返す。
やっぱ、外野が気持ちいい。
俺、今季は出来る限り外野やろうと思います。つかやりたいです。
だれかファーストやってください。
ヤンヤン(河田純子が1位)はサードです。



日曜、仕事。



月曜、休み。私事もそこそこに、パチンコ。大勝利。



火曜の今日、仕事。



はい、ダイジェスト。

んま、土曜以外は然して代わり映えしない日常だったわけです。
久しぶりだったのもあって、すんげぇ楽しかったよ、球遊び。
…まあ、野球以外はこんな日常だったからこそ早く寝てるんだってのはわかってもらえたかしら。んん。早寝の理由の大部分は『寒い』。
あとはちょいちょい貰った本などを読んでいたり。
小説じゃなく、今はなぜか、オーパーツとか宇宙とかの本を読んでいます。訳もなく、なんとなく。
チョコレートを頬張りながら、そんな本をちらちら読むのがいい感じ。

…あ、ケータイアプリ『天地を喰らう』はあっちゅう間にクリアしてしまいました。
たぶん、前回の日記を書いた次の日あたりに。
ええ、もう、酷かったです。
にもかかわらず、エンディングテロップの一番最初に、知ってる人が二人も名前出てて、超凹んだ。



さてさてここから本題。

2月は忙しくなってきたゾ。
仕事ではなく、プライベートで。
散々言い続けている四国行きは2月の26日?28日。
この四国行きに際し、お金がないと言う現状。
借金してでも行くつもりだったわけです。

月曜、何の気なしに行った、我が家から一番近所のパチンコ屋。
ていうか、本当はパチンコ屋に程近い本屋へ行ったんだけど、目的としている本(四国本)でいいのが見つからず、手ぶらで帰るのももったいないので、ちょろっと寄っただけなのだ。
柿生の店は『ぱちんこ仮面ライダー』のクギがかなりシブくなってから足が遠のいていたんですが、台を見回すと、『黒ひげ危機一発2』が入っていたので、打ってみたのです。
いやあ、でるわでるわ、驚きましたよ。正直。
勝った金額は、たかられそうで怖いので書きませんが、これで四国行きの資金は潤ったといえるでしょう。
しかしこの台、ハイパー甘デジを謳うだけあって、スゴイスペックだわ。
これぁ、ちょっと久々にとんでもない台の出現だと思っていますよ、私。
アタシャそこまでパチンコフリークではないけど、これは『たぬ吉くん2』級の衝撃。

…で、予想以上にボロ勝ちしたため、もう行かない。
四国が終わるまでは、行かない。
せっかく臨時収入が入ったのだから、これは大事に使わせてもらうのだ。
となると、再度黒ひげに出会うのが3月以降になるんだけど、おそらく3月以降はクギ閉めてるだろうなあ。
アレはマジでクギを開放するとやばい機種に化ける。
かなりの確率で勝つんじゃないかと思います。台の大当たり確率が情報どおりだとすればの話ですが。

…んま、所詮はあぶく銭ではありますが、黒ひげ打ってみたいと思っていた方いらっしゃいましたら、釘の甘い今がチャンスだとだけお伝えいたします。



お金を使う予定はなにも、四国だけじゃないのだ。
2月2日に、杉山ゼミの新年会がある。
2月なのに新年会と呼ぶのは少し違和感を感じてしまうのはさておき、今回は『いつもの3人』だけじゃなく、どうやら7人も集まると聞いて、ちょっとテンションが上がっております。
杉山ゼミの杉山先生も来るし、なかなか楽しい宴になりそうな予感。



その翌日、2月3日。
草野球の練習@浅草。
2日の飲み会のこともあり、参加をしようかどうしようか迷っていたんですけど、今朝、グラウンドを調達してくれたQさんから直々にお誘いのメールがあったのです。

『おはよう!
 浅草の練習には来られないですか?
  隅田川の対岸にアサヒビールがあって、工場直送のビールが呑めるらしいのですが』

僕は日曜、浅草へ呑みに行くこととなりました。どちらかと言うと呑みに行くこととなりました。



2月10日。
チアリとスーさんと、新年会の予定。
いつだったかに、突然チアリとスーさんコンビから電話が掛かってきて、いつぞやに話していた飲み会をやろうって話になり。
俺の仕事の都合を考えると、この日の夜が最適なんじゃないかと言う話になり。
で、ここで呑むこととした。
呑みまくりの2月、果たして肝臓はもってくれるのでしょうか??



11日、草野球の活動。
同じく浅草の球場。
んで、実は、この日に試合を打診中なのです。
とりさんあたりから「ぼちぼち試合したい」と言われたのを切っ掛けに、このあたりで打診しているのですが、今のところまだ返答はなし。
試合を何度も企画して、毎度潰れている、まっつん率いる(率いられている)某ゲーム会社の私設野球部。

…今回も、何らかの事情で潰れちゃうのかしら?
こないだ中止になったのは確か、台風で多摩緑が水没しちゃったという、アレだ。
対岸の火事、とかで潰れたりするのよ。

対岸のアサヒビール本社から、金色の煙が、もうもうと!
あの火を消しに、2週連続で中へ行くぞ!

……。
それはさすがに。

しかし、あの金色のウンコオブジェ、いったいなんなんだろうねぇ…。



…で、2月24日は、お義父さんの四十九日的行事。
信仰している宗教が違うので、厳密に言うと『四十九日』ではないんだけど、まあ、仏教に照らし合わせると四十九日。
そのいみするところもほとんど同じなので、四十九日と呼んでよい行事が奥様の実家で催される。
ので、帰省するのだ。
とはいっても、私は26日の朝、羽田空港にいないといけないから、とんぼ返りになる可能性は高いのです。ああ忙しそうだ。
そんでもって、『2月24日』ってのは、杉村先生の命日であって、三回忌なのだ。

でも、ゴメン、先生。
今回ばかりは、お義父さんを優先させてください。
先生のところへは、24日より前に行きます。
前後の都合を考えると、おそらく22日の金曜日が墓参りへ行くのに一番都合の良い日なのだけど、ううむ、六曜とか調べて仏滅だったりしたら、避けるか。
それ以上に、もし22日に行くとなると、22日から28日までの、実に7日間、つまり一週間まるまる休みをくれるものなんでしょうかね!?
そこが一番の心配。
でもゴメン、俺は休むぞ。



んで、今夜に早速、3月の予定を埋められてしまった。ブフフ。
でか君から、3月19日に呑もうと言うお誘いが。
承諾。
偶然(?)にも19日なので、いくどんへ行こうかと思っております。
彼はいま忙しいみたいで、ひと段落着く頃がどうやらこのあたりのようで、新しいチームの一回目の活動のこともコミコミで、このあたりに一度顔を合わせて呑もうじゃないか、と。
でか君は『新年会』と称したけど、さすがに3月の後半に新年会と銘打つのは、マズかろう。
俺の誕生日4日前祭ということで、呑みますよ。ええ。
いやまあ、肩書きのいろははどうでもいいんだけど、楽しいやつと楽しい話題で呑めるなら、アタシャ行きますとも。
行ける場所で、行ける時なら、行きますとも。

んで、でか君に、早くもお盆あたりのスケジュールを押さえられそうになったけど、その辺は3月19日にこってり話すといたします。



誰かに自分のスケジュールを埋められていくっての、すごく嬉しい。
いやなものは、やんわりと断ります。
つまり、ここまでに寄せられている誘いに何一つ、いやなものがないと言うのがまた、シアワセ。

気温は寒いが心と財布はぬくい。

心がぬくいのは時々あるが、財布がぬくいのは、極めて稀だ。
行動記 | コメント:0 | トラックバック:0 |

シャア「黄色いヤツが出てきただとっ!?」【注:食事しながら見ないこと】

どうも。
久方ぶりに、日記と向き合っている私です。

先週は、働いてました。ええ。
先週から、新人君がひとり立ちと言うことで、ラインを一つ増やしました。
なので、残業も減る…はずです。
今まで一人少ない状況でまわしていたんですから、残業はそれなりにあったわけです。
私は残業少ないほうなんですよ。
イヤなのよね。
残業代を稼ぐために、終業までコソコソと休憩室に隠れてみたり、外務に出たっきりなかなか帰ってこなかったりするのを見てるから。
なんつうか、つまり給料泥棒って言うか、時給と言うシステムの落とし穴を利用しているのを見ると、みっともなく思うのです。
そんなんせんと、すっと上がって見せれば評価も上がるし、そんでもってベース給上げるほうが、得だと思うのよね。
管理職の人たちは、そういうところだけはきちんと見てるものよ?
…と、つまらんグチから入りましたが、要は私、拘束されてる時間が短いほどいいのです。
早くストレスから開放されたいの。
なにやっててもストレスと言うのは溜まるものですが、ならばなおさら、自分の時間を増やす方向で。
自分の時間内でたとえ寝てても、随分有効。
寝ることはメッチャいいことなのです。
やることあるときだけ、寝る時間に制限を掛ける方向で。

今年の目標の一つでもありますが、残業ナシの方向で、これからも頑張りたいと思う所存。
ライン増やしたのも、ソレが狙い。



日曜。
ちょいとサワリだけ書きましたけど、SGリーグの代表者会議と言うものに出席しました。
みんなからもちょいちょい出てた話だけど、SGリーグは『最弱』の略称であるはずなのに、強いチームがちょいちょいいることが多少問題視されておりまして。
…で、今季から新たに参加するチームも含め、2部構成の4リーグに分かれました。
うちは、新しいチームが3つ入るリーグに所属。
交流戦的に他のリーグのチームと試合をするケースが3回ありますが、他リーグとの試合は必要かとも思います。
完全に隔絶されると、それこそ実力差がわからないままのチームがリーグに存在することにもなりますし。
んで、その交流戦3チームのなかに、ヴァリアスさんがいることも、プラス材料。
ヴァリアスさんは、もう一個の2部のリーグにいて、そのリーグのi-Fsの交流戦の相手としてヴァリアスさんと対戦することが決まりました。
リーグ参加2年で唯一勝っているチームですので、ここはひとつ、連勝といきましょう。

にしても、日曜は寒かった。
ズボン下穿いてなかったら、マジで凍死してたわ。



月曜。
職場で飲み会。
しかも、職場の中で、飲み会。
年末年始の目標達成慰労会らしく。
んで、うちの部署からの参加者は、ゼロ。私を除けば。つまりそういうテンション。んま、いいんだけど。
仕方なく参加。というわけでもなく、仕事あがって早速ビールを呑めて、しかもたったの500円というのだから、いっとけいっとけ。
がしかし、月曜は忙しかった。
近所の高校が修学旅行から帰ってきたみたいで、沖縄からの荷物がどっさり。
生徒さんたちの家々に、すんげえ数の荷物が到着していた。
それを超ダッシュで配ってきて、宴が始まった頃に滑り込み参加。
んで、なんだかしらないけど、その宴席に結構偉い人…ってかかなり偉い人が来ていて、なぜか気に入られて、翌日に違う支店である飲み会に参加しなさい、なんて誘われた。
翌火曜は夜勤。
…が、偉い人パワーが発動したわけではないんだけど、ソレらしきことですんなり休みを変わっていただけたのだ。
というわけで、火曜は休みになる。
飲み会で余った缶ビールをいくつかかっぱらって帰る。



翌朝、火曜。
気分が悪い。すこぶる気分が悪い。
二日酔い…!?とか思ったけど、たかだか缶ビール500ml4本くらいで、こんな酷い二日酔いになるわけがない。
二日酔いの諸症状は軽くあるものの、とにかく吐き気が酷くて。
布団に横になって我慢してはいたんだけど、『これはヤバイ』と限界値を超えたとき、トイレへ駆け込んだ。
胃の中身なんて何にもないんだけど、とにかく胃はなにかを外へ出したがるのですよ。
しばらく自分の胃にお付き合いして、トイレで嗚咽を漏らしていると、黄色い液体が。
いやあ、もう、久しぶりに酸っぱい感覚ですよ。味覚も嗅覚も、心も酸っぱい。
これは風邪なんじゃないかと思い、熱を測ってみたところ、37,8℃。
風邪です、これ。
年末に流行った『胃腸風邪』なるものに、年を越した今更、罹ってしまいました。

とにかく、胃が空っぽなのがつらくて、チョコレートとか食べるんですけど、残念ながら数分後に全部外へ出て行くのです。
食べても意味がないし、だからといって胃を空にしておくと、もどす時に辛いし、なのでとにかく水ばっかり飲んでました。
昼を過ぎた頃に組合長から電話で連絡を受けたのですが、ありのままの現状を説明したら、「無理しなくていいよ」というお言葉を頂きまして。
まあ一応、夕方にもう一度連絡して、行けそうだったら行って、ただしお酒は呑まない方向で…ということに相成りまして。
でも結局、体調不良は半日で回復することが出来ず、会合には無念の不参加。
(今日、会合へ行った人に話を聞いたところ、うちの支店ではありえなかった豪華料理が振舞われたらしく、超凹んだ)

おうちで、お布団の中で、ケータイいじるのが精一杯。
なんかゲームでもダウンロードしてやろうと思って、落としてきたのが『天地を喰らう』(カプコン)。
RPGやりたくなって、探してて、んで、懐かしくなって落としてみた。
確か、中学生くらいのときにやった記憶があった。ファミコン。
ただ中学生だったその当時でも三国志に対する歴史的解釈がむちゃくちゃであるという印象があって。
んで、この年齢で改めてやってみると、ぐだぐだ感、大。なんなんだ、この緊張感もなく、抑揚のない展開はっっ!
歴史的解釈云々よりも、そっちのほうが気になる。



悪いやつがいます、やっつけてください

  ありがとう、リュウビさま

    リュウビさま、どうか私を兵の端においてくだされ

     はい
    >いいえ

   そこをなんとか

    >はい
     いいえ

  ありがとう、リュウビさま



……。

もすこしやりようがあっただろうに…。

…で、たぶん、歴史の時間軸が変だから、死ぬはずの仲間が死ななかったり(ここはRPG特有の『仲間がシナリオの都合でいなくなる』というのを避けた嫌いがある)、そのくせ敵側はキッチリ死んでいったり、最後の最後に蜀が中原を統一して大団円を迎えてしまったり、と、他にやりようはなかったのか的展開がまっているはずなのだ。

やってて思い出した。

じゃあもうやらないのかって言ったら、いやいや、きちんとやりますとも。
たとえ何百円とはいえ、払ったんですもん。

これをやってしまったせいで、RPGじゃない三国志のゲームがやりたくなってきた。
やりたくなってきたけど、あれはやり始めると随分時間が掛かるので、考え中。。。



今日は雪の中、お仕事してきました。
体調不良はまだ続いている(昨日ほど悪くはないけど)のに、ぶりぶり頑張って、定時で終了。
気を張ってればなんとかなるもんですね。

帰ってきてから、MXTVで『水曜どうでしょう』を鑑賞。
今日は四国八十八箇所お遍路パート2の第2週目の放送。
レンタカーで寺を回って、合間合間にうどん。
やっぱりうどん。旨そう。
そんな今日の夕餉は偶然にもうどん。
2杯も食べてしまいました。
来る四国巡礼に備えて、胃を拡張しておこうと企んでいる私です。
一杯でも多く、旨いうどんを喰らってやるのだ。

…でもまだぜんぜんプラン練ってないや。こまったな。
もうね、どうやらレンタカーで移動しないとだめだと言うことが、方々の取材でわかったので、諦めました。日中からビール呑むのを。
ひとり旅ゆえ、車を運転するとなると、お酒を呑むのは夜しかないわけで。
本日の宿を押さえたあと、繰り出すと言う形に。
でもねえ、俺は一度だけ四国に行ったことがあるんだけど、そこ(高知県南国市)は、夜の7時になると真っ暗になっていたわけですよ。
コンビにもねぇの。
そういうイメージがあるから、一応、宿をとる場所はそこそこ栄えている場所にしないとね。
うっかり田舎町に宿泊しようものなら、車は停めたが呑む場所がねぇ!なんてことになりかねない。

2月2日の新年会で、よっちゃんに相談だ。

…さて、天地を喰らうをもう少し進めてから、寝よう。
物語中のどこで姜維が登場してくるのかが気になるのだ。だいぶ後なんだろうけど。
行動記 | コメント:0 | トラックバック:0 |

迷走(BlogPet)

きのう、迷走された。
それで意味したかも。
でも、ようすけと、掃除っぽい聴取したかったの♪

*このエントリは、ブログペットの「楊楊」が書きました。
未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 |

明日は雪。

めっちゃ寒いっっ!

そんななか、SGリーグの会議にヤンヤンと行ってきた。
詳細は明日あたりに書くとして、一番重要なのは、2部にリーグわけされることになった。
むちゃくちゃ強いチームと当たらないですむわけだ。

少しは勝つぞ。今年は。

…で、明日は雪が積もるそうなので、備えるためにもう寝ます。
積もったら、アサイチで歩いていかにゃあナランのだ。
公共交通網は、雪ではアテにナランのだ。

車運転すんの、ヤだなぁ。。。



…じゃ、おやすっ!
明日は雪。…の続きを読む
行動記 | コメント:0 | トラックバック:0 |

辛いものに気をつけろ

最近、辛いものが好きです。

いくどんへ行きました。おととい。

いくどんには2種類のタレがあるんですが、

基本、醤油ダレしか使いません。

味噌ダレは、ホルモンかカシラにしか使いません。私は。

で、この味噌ダレに、思い切って、カウンターにおいてあった一味唐辛子をぶっ掛けてみたのです。私は。

タレの色が味噌の黄色から唐辛子の赤に変わりました。

だけどこれ、ウマッッ!!

病み付きとはこのこと。

もっと早くに気付けばよかったのに。。。

今度からはこれメインで。

でも今日のトイレは痛かった。
辛いものに気をつけろ…の続きを読む
行動記 | コメント:0 | トラックバック:0 |

誰かの続きの世界がまた始まった。

読者の皆様、お久しぶりです。
各方面からご心配の声がありましたが、ちゃんと生きてます。
…がしかし、勘のいい皆様はお察しの通り、あって欲しくはない出来事も起こりました。
そんな長くて短い正月休みを一気に振り返ってみたいと思います。



1月1日。元旦。
早くも2008年の仕事始め。
31日までの大忙しな状況から一転、年明け初日の元日はすこぶる暇。
配達業務の人はお忙しいのですが、私の部署は基本、暇。
新人君も初日から参加で、研修と呼ぶにはあまりにお粗末な仕事量だったため、外務の全てを彼に任せて、私は職場で年末に溜め込んでしまった要処分書類の束をシュレッダーへ。
朝から終業まで、お昼を食べた以外はずうっとシュレッダーを掛けていたのです。
随分と時給の高い雑用係だったわけです。
ただ一つ特筆すべきは、帰ってきた新人君を手伝おうと、自動車の発着場で荷物の積み下ろしを手伝った際、車のハッチバックのフックに作業ズボンの裾を引っ掛け、そのまま50cm下のアスファルトへ叩きつけられたのだ。
受身は取ったから頭は打たずに済んだんだけど、めっさ痛かったわぁ。
裾は破れてしまったし。むう。


落っこちて怪我しようが、仕事自体はやっぱり暇だったから、無論、定時でサクッと終了。
さっさと帰ってビールでも呑もうかなって時に、連絡があったのだ。
大学時代の旧友、シゲから。
シゲはずうっと関西地区で働いていたのだけど、いつだったか、新婚の奥さんと共に関東へ移籍してきて、そのままこちらで働いていたのだ。
彼もまた、元旦から仕事だったのだが、仕事が終わってから呑みに行こうと言う誘いのメールが来たのだ。
奥さんと子供は帰省していて、一人だったそうな。
んまあ、子供がいないことを除けば、よく似たようなもんだ。
翌日2日は11時からの勤務だったし、呑む場所はうちの近所で…ってことなので、行くことに。

シゲは8時頃に我があばら家へ到着し、車を家の前に乗り捨てて、新百合ヶ丘へ。
元旦だからこそか、開いてる店が少ないせいで、魚民は盛況だった。
あれやこれやと話して呑んでいるうちに、結構な時間が経ってしまった。
驚いたのは、シゲ個人所有のケータイ電話へ、仕事先から電話がひっきりなしに掛かってくると言う話。
いや、別に珍しいことじゃない話なんだけど、でもねぇ、朝の4時に「??持ってきてくれ」とか、ぶっちゃけ「俺はパシリじゃねぇぞ!」といいたくなるような話には驚いた。
それが日常的にあるらしく。
それって、どうなのかね?
こんなテキトーな俺が言うのもおこがましいけど、オンとオフって、大事だと思うよ。
朝の4時過ぎに、そんな用件は断ったっていいんじゃないかい?
しかも君ん家、ちっちゃくてかわいい天使がおりますがな。
よっぽどの緊急でもない限り、ちっちゃい子がいる家庭へ朝の4時に電話掛けてくるヤツなんて、ろくなモンじゃないと思うよ、俺。
仕事替えろとか辞めろとか、そういうことじゃなく、まあ、なんだ。それなりにうまくやれ。
12時にケータイの電源落としたって、誰も文句は言わないと思うぞ。

…さておき。コホン。
呑みの席の最中、懐かしい面子の名前が挙がった。
そのうちの一人である、テルに電話をしてみた。
繋がった。
テルは大阪でパティシエの修行に明け暮れていて、忙しい毎日を過ごしている…というのが、確認できている最終情報だったのだけど、テルは今、実家のある岐阜へ戻って、なんとなんと、自分の店をオープンするための開店準備に追われているらしい…と言うことがわかった。

「ピラン、いつ帰ってくるん?」

   「明日(1月2日)の夜遅く」

「いつまでおるん?」

   「6日まで。 4日が一番都合がいい」

「じゃ、4日に連絡入れるわ」

ってことで、テルとは4日に、私の実家で会うことが決まった。



1月2日。
昨晩、シゲはうちに泊まっていった。
車で来て、お酒を呑んだんだもの、そりゃあ当然だ。
朝起きてから、鶴川のコメダコーヒーへ行き、名古屋式の朝食を摂る。
しかし、三箇日はモーニングサービスをやっていないらしく、名古屋式でもなんでもない、タダの普通の食事になる。
そのまま鶴川の仕事場まで送ってもらい、近いうちの再開を誓って別れる。
シゲ、またな。

2日もやっぱり暇で、シュレッダーもあらから始末できてしまった。
なのでこの日は、残りの仕事を全部新人君へ押し付けて、私はもう出勤すら取り消して、さっさと帰った。
家の掃除をしていなかったので、洗濯含め、雑用をこなしつつも帰省準備。
洗濯物がかなり多かったのでそれに梃子摺り、結局、実家へ到着したのは23時過ぎ。
妻は自分の実家で疲れきった様子なので、顔を合わすのは翌日(3日)の義父さんの見舞いに行くときにして、私もさっさと眠った。
長距離の移動は、それだけで疲れるのだ。



1月3日。
午前中から妻と合流し、病院へ。
むっちゃんこと、うちの母ちゃんが、正月は暇だから病院まで車で送って行ってくれると言うので、厚意に甘えることにした。

お義父さんは年末に顔を合わせたときより更に痩せこけていた。
けれど、言葉はハッキリしているし、点滴を打ってはいたものの、自分で歩き回ることが出来ていた。
ただ送ってもらうだけと言うのも忍びないので、むっちゃんも見舞いへ付いてきてもらった。
さすがに薬剤師だけあって、お義父さんの病状を的確に把握した上で、お義父さんが不安に思っていることに一つ一つ、その対処法を含めて答えていた。
遣り取りを見ていて、心強かった。
『医は仁術なり』と、かつての中国の名医・華陀は言った。
その遣り取りは、金儲けなんて匂いの一つもしない、まさに仁術としての医、処方であった。
患者であるお義父さんの心を安心させることが第一で、第二に有効な手段を教える。
今を憂うのは当然のことだけど、だからこそ希望は失っちゃいけないのだ、と、全然関係ないことで、まるで自戒するように思ったりもした。

妻は翌日の4日から仕事始めとなるため、本日中に川崎へ帰らなければならなかった。
だから時間の許す限りお義父さんの近くにいたいと話した。
なので良き頃合を見計らって、私とむっちゃんは病院を後にした。



1月4日。
やっと、私にも正月らしい日が訪れた。

朝、起きる。
今や私は実家にとって『お客さん』扱いなため、客間的に使われている仏間で寝ている。
…で、起きると同時に仏壇へ線香をあげ、お参り。

おせちを食す。
のこりものだけど、そんなことはどうだっていいのだ。
正月らしさを味わうことが出来れば、それで充分。
贅沢を言える状況では、ないのだ。
とはいえ、『いいもの』が残っていた。
柚子の皮にイクラを詰めたものが二つも残っていたのだ。
よう、イクラ。久しぶり。しばらく食べてなかったな。
旨いのは言うまでもなく。
こりゃもう、午前中から酒じゃ酒じゃ。
イクラをちびちび食べて、飽きたら違うものをつつき、合間合間にビールを傾け。
おお、正月の装い。なんだか懐かしい気分。
そんななか、4日から仕事始めの人も、いるのよね。うちのワイフみたく。

働くことは、悪いことじゃない。
休むことは、これも悪いことじゃない。
ただ、正月を忘れることは、悪いことだ。
私は確かに、去年は正月らしさを知らないまま過ごしてしまった記憶があります。
正月ってのは、やっぱり、きちんと新たな年を迎えるべく、12月中にやるべきことをやって、1月に休む、というスタイルを伝統として継承していかねば。
大人と言うものは、そういった色香を大事にせねば。
暑中見舞いとかも、色香漂うね。時期は逆だけど。

…そう、そうなのだ。
年賀状を書かねばなるまい。
って、自分の家から持ってきた年賀葉書を並べ、呑みながら書くわけです。
どんなに不細工でも、どんなに時間が掛かっても、年賀状はやっぱり手書きですわね。
昼から午後に掛けて、酔いに任せて時々寝たりしながら、チマチマ年賀状を書いているうち、いつのまにか夜の帳が降りていて。
そんでもって、ケータイに一本の着信。
テルからだった。
テルが来たのだ。



奥さんの実家から帰ってきた弟も合流して、久しぶりにテルと話した。
新しくオープンする予定のテルの店の図面を見て、あれやこれやと談義する。
テルは都合のいいデザイナーを探していて、そんでもって、俺の中で『都合のいいデザイナー』って聞いて、弟を思いついたわけで。
弟は、兄の私が言うのもなんだが、デザインのセンスがあると思う。
高校のとき、ひょんなことで弟のデザインセンスを知ったのだけど、今になっても尚、弟が時々やらかすデザイン的ななにかを見て、いちいち驚いたりしている。
何の勉強もせずに、こういうものが書けたり、作れたりするのはすごいなぁ。って。

…で、テルの新しい店舗の話もそこそこに、やっぱりこの面子だと懐かしい話に花が咲くわけで。
あれこれ話しているうちに、シゲのときと同様に、昔懐かしい面子に連絡をしてみたのだ。

ドラゴン。
もう一人の『ハヤシ』に連絡。
あんにゃろうめ、連絡もナシにソフトバンクへケータイを変更していやがった。
んま、ナンバーポータビリティのおかげで番号は変わってないから、連絡は出来たんだけど。
今ドラゴンは、シゲと入れ替わるようにして兵庫へ。
なにやら傷心ボクシングを始めたとかなんとか。
そんなドラゴンには、例のチームをオススメしておいたのだ(今の時点で既にコメント欄へ参加表明があることは非常に喜ばしい)。

そんでもって、もう一人。
私をヌーノ・ベッテンコート漬けにした男、ヤスイ氏。
この人は、ずうっとケータイを所持してなかった。
だから、コイツと連絡をとろうとするときはいつも宅電へ連絡を入れる。
そんでもって、いつもいつも、一度目に本人が出たためしはない。
だからこそ、ちょっと緊張するのだ。
ケータイが主流になってからと言うものの、電話を掛ければ間違いなく『目的としている人』に繋がるのは確実で、それ以外の人が電話に出ることは考えにくい。
でもでも、一昔前は、好きな人の家に電話したらお父さんが出た…なんてのが当たり前だったわけで、俺だってそういう経験したクチだし、つまりヤッサンちに電話すると、ソレに近い緊張感をいつもいつも、新鮮な気持ちで味わえるのだ。

電話。
出た。
やっぱり、母ちゃんが出て、んで、のそのそとめんどくさそうに(想像ではそんな風)、2mの巨体を揺さぶって電話口に出るのだ。

「ひさしぶり?」

声は全然変わってなかった。
彼『も』どうやら、椎間板ヘルニアを患ってしまったらしく、足が痺れて痛い…と嘆いていて。
私はあくまで軽度のヘルニアだったから、そこまでひどくならずに済んだものの、特に彼は身長が3m近くある(想像ではそんな風)ので、その5mを誇る巨体(想像では)が仇となり、正常時が7m(想像)なのに、腰が痛くて縮こまって、8mくらいに(当社比)なってしまっているそうな。

でもそんなの関係ねぇ。

例のチームに入りなさい。と、積極勧誘。

要はあのチーム、私にとって、一生付き合っていたい友人ばかりがいてくれれば、願ったり叶ったりなのだ。
「入れてくれ!」って挙手してくれた人はもちろん、受け入れますとも。
と同時に、ここのことを知らない、私の古くからの友人の中にも、入れたい人がいたりして。
そのなかにヤノやらシゲやらテルやらドラゴンやらヤッサンが、いるわけで。
早く輪の中に加わってくれ。



ヤッサンは、翌日(5日)なら仕事に都合つけられそうだから、巧いことスケジュール調整出来たら遊びにいく、と。
その連絡は、翌日に入れるってことで、オチがついた。

テルは弟が家に帰った頃合を見計らって、彼もまた、岐阜へ帰った。

店がオープンして落ち着いた頃、岐阜へ顔出しに行くぜ。



1月5日。
前日の呑みの疲れか、11時くらいまで眠っていた。
どうせ今日も正月休みだ…なんて、ぐうたら決め込んで2度寝をしていたとき、川崎の家に居た妻から連絡があった。

「今からそっちに戻ります」

と。

お義父さんの容態が急変した。
癌を患っていた患部の腸に穴が開いて、そこからお腹の中へ汚いものが流れ出してしまい、どうにも処置が出来ない状態になってしまったのだ。
癌発見当初、どうしようも出来なくて、お腹の中にそのまま残していた爆弾が、ついに破裂してしまった。
危篤状態であると聞き、正月ボケしていた頭を叩いて、慌てて家を出た。



名古屋駅で妻と合流して、病院へ向かった。

「悪いね、洋君」

と、言葉はハッキリしていたものの、3日に会ったときと比べて随分と弱弱しく喋った。

そんな折、ヤッサンから「行けそうだ」という連絡が入った。
だけど、こちらの状況が悪くなってしまった。
せっかくスケジュールを段取ってくれたのに、ゴメンな、ヤッサン。



お義父さん危篤の報に触れ、続々と親族が集まり、そこでお義父さんは『最後の言葉』として、自分の思いを語った。
妻からみればおばあちゃんに当たる、お義父さんにしてみれば、自分の母へ、子が先に逝く無念と謝罪の言葉を聞いた。
痛み止めの量は増える。
睡眠薬も併せて投与し、お義父さんは、少し安定した。
暖房の効きすぎている病院の、真っ暗なロビーで、ソファを並べて仮眠を摂っては、時折聞こえるナースコールの音にビックリして、慌てて病室へ帰ってみてはお義父さんの無事を確認し、またロビーへ戻って眠る振りを続けていた。

最終的に私を起こしたのはナースコールではなく、妻だった。

「来て」

言葉少なかっただけに、本当に危ないんだな、と悟ることが出来た。

病室へ戻ると、お義父さんはまさに、最期の時を迎えようとしていた。
ただ、呼吸しているだけ。
自分の残る体力ではもう、呼吸を続けることが精一杯の様子だった。



1月6日、10時22分。
逝った。



精一杯呼吸をしていたお義父さんの舌が、すうっと喉の奥に沈んだきり、動かなくなった。
『息を引き取る』という表現があるが、まさにそれであった。
最期は苦しみから解放され、静かに旅立った。

激痛を堪え続け、家族のために1秒でも長く生きようとした父の背中は冷たくなった。



悲しんでいる余裕を、神様は与えてくれない。
亡くなったお義父さんの葬儀に向け、あれやこれやと慌しく動くこととなった。
今思えば、そのほうがかえってよかったのかもしれない。

血はつながっていないとはいえ、1親等の身内として葬儀に参加するのはこれが初めてで、故人を葬ることがこれだけ慌しく煩雑であるのかと思い知った。



6日の晩は仮通夜として、お義父さんの亡骸を家へ運び、弔問客を招きいれた。
そんななか、葬儀における宗教的な葬儀方法を、お義父さんが熱心に信奉していた団体の方々と、長男であり喪主の義弟が相談していた。
かなり、てんやわんや。



1月7日。
通夜。
前述したように、マイノリティと言わざるを得ない宗教を信奉していたため、私の知る『通夜』とは形式が違った。
というか、家族の誰もが詳しい葬儀の段取りを知らなかったため、式場は大混乱に陥った。
通夜と言うより、告別式の予行演習と言いたくなるほど、やっていることは難しかった。
受付をしながら、親族が儀式に参加する必要があるときには式場へ顔を出し、私は私であちこちへ慌しく動いたりした。
そんななか、我が東洋とむっちゃんも、身内として式の運営を手伝いに来てくれた。
そのほか、親族や宗教団体関連の人たちも続々と手伝いに来てくれた。
受付関連の仕切りは私に一任されたのだが、残念ながら、仕切りたがりの仕切り下手が現場をかき回すだけかき回し、その人が儀式も執り行ったため、むちゃくちゃだった。
終いには、私が一番信用していたむっちゃんと東洋を『知らない人だから』という理由で私の許可なく外し、私が席へ戻ると面子が変わっていたりしていた。
せっかく仕事を覚えてもらった人を外して、現場監督がいない間に勝手に新しい人を現場へ放り込んだため、香典の管理はむちゃくちゃになり、最期に帳尻を合わせるのが物凄く面倒になったりした。
正直、一発ブン殴ってやりたい気分だった。
それは私に限ったことじゃなく、喪主の義弟を始め、お義母さんも妻も義妹も同じ気持ちだったようで、とはいえ、大事なのはお義父さんを葬ることであって、つまらない内紛をいちいち起こしてる場合ではないのだ。
…だけど結局、我慢していた我々とは関係のないところで、場を混乱させていたその人と、その下の人とで内紛は起こっていたらしくて。
一番大事な空気が読めてないってのは、罪なのだなと知った。

うちの親父は偉いと思った。
いわば義勇軍的立場で手伝いに来てくれて(考えてみれば、葬儀を手伝いに来てくれる人はみんな義勇軍的立場なんだな…)、それにもかかわらず、ようわからん人に蔑ろにされた挙げ句、『あっちいけ』みたいな扱いを受けたのに、

「気にしとらん」

の一発で、私に笑ってみせた東洋は、やっぱり目指すべき背中だと思ったわけで。



てんやわんやの通夜が終わると、告別式の準備に入る。
私も時折、職場へ状況報告の電話を入れたりして、自分のスケジュールを調整しながら、告別式の準備に参加した。
言われるがまま、あっちへ車を出したり、こっちへ物を搬入したりと、いつもの仕事よりもやることが多かったような気がした。
あれこれ終わってから葬儀場の宿泊室で喪主の義弟と二人で、残り物の助六寿司を頬張りながら、やるべきことや段取りを組んだりしているうちに、明け方近い時間になってしまった。
どの道、眠れるような心境ではなかったけれど。



1月8日。
告別式。
ほとんど寝てないテンションで告別式に参列した。
『参列』というと語弊があるのかもしれない。
昨日の失敗を踏まえて、この日は極力、受付から離れないようにしていた。

慌しく受付を回しているなかも、式はしめやかに執り行われ、無事、送ることが出来た。

桑名の火葬場へ、お義父さんを運んできた。
ここの火葬場へ来たのは、もう3回目だ。
おばあちゃんの時と、佳明叔父さんの時、そして今日。

火葬に参列となると、長島のおじいちゃん、松戸のおじい、杉村先生と併せて6回目。

桑名の火葬場へ来ることには、慣れた。道もわかる。
だけど、この『火葬』という儀式だけは、何度やっても、慣れない。

つい先ほどまで形のあったものが、灰になる。

この灰に、なにを思えばいいのだろう。なにを映せばいいのだろう。

いつもいつも、虚しさしか残らなくて。

あの瞬間、まるで今までのその人との遣り取りが全部、幻だったかのように霧散していく。
忘れないように捕まえようとしても、目の前にある灰の嘘っぽさに、負ける。

今回のお義父さんのときも、全く同じ感覚に陥った。



火葬が終わると、遺骨と遺影を家へもって帰ってきて、亡き魂へ祝詞を捧げた。
これで一旦、葬儀と言うものが終わったのだ。
落ち着いて食事を、久しぶりに取ることが出来た。
余った精進料理を食べて、ビールを呑んで、生前のお義父さんの思い出話に花を咲かせた。
みんな疲れが出たのだろう、食事をしながらそれぞれ眠ってしまった。
私はここで、平野家へ帰ることにした。

翌日、川崎へ戻る予定だったので、自分の荷物を整理するためにも家へ戻る必要があったのだ。

家へ帰って、仏壇に手を合わせてから、東洋と一緒にもう一杯呑んでから眠った。



1月9日。
4日夜にテルが来たことで、途中でやめてしまった年賀状書きを再度、始める。
全ての年賀状を書き終えた頃、妻の実家から連絡が入る。
受付のことで喪主の義弟がなにやら質問したいことがあるらしく、来てくれないかと頼まれた。

受付で作成した台帳の見方がわからなかっただけだった。
その見方を知っている私が、記号や数字の書かれている意味を説明し、その全てを喪主へと接続した。
葬儀が終わって一日、ここでは早くもお墓の相談や相続に関する手続きなどで、またしても来客でごった返していた。
休む暇を与えてくれないのだ。



ちょっと遅い昼ご飯を東洋と共に食べ、付かれきった体を温泉で癒し、東京方面へ。
前日の夕方、キシコから連絡を受けていたので、帰りに新宿へ立ち寄り、軽く呑みながら話した。
こんな妙なタイミングで、しばらく振りの再会になってしまったわけだけど、正直、助かった。
誰かと話したかったのだ。
葬儀に関わってない誰かと。
私的には偶然このタイミングでのみの誘いが来たのは随分救われたのだけど、話が話だけに、彼女にとってはちょっと迷惑だったのかもしれない。
気分を害していたら、ごめんなさい。
私としては、随分軽くなれました。付き合っていただき、ありがとうございました。



久しぶりに小田急の満員電車に揺られ、家へ帰ってきた。
家は、自分が実家へ帰ったときと変わらない姿で主を迎えてくれた。
久しぶりに自分の布団で眠った。
もともと眠ることには神経質で、自分の布団が一番相性がいいはずなんだけど、というかやっぱり、眠れなかった。
家の静寂が一気に押し寄せてくると、あれこれ考え始めてしまって。
一本だけ冷蔵庫に残っていた発泡酒を呑んで、効き目が薄れないうちに瞼を瞑った。



1月10日。

職場復帰。
…の前に、アサイチで妻から連絡が入り、麻生区の市役所へ行くことに。
妻名義の印鑑証明の登録を取りに行かなければならなくなったのだ。
なんでも、遺産相続で必要らしく、翌日の午後には欲しいとのこと。
あまり詳しい話は聞かないまま、印鑑を持って家を出た。

相変わらず、麻生区役所は人でごった返していて。
そんななか、必要書類を記入して、素直に順番待ちして、随分待たされ、やっとこ私の番。

「奥様からの委任状をお持ちですか?」

と聞かれ。

委任状なんて、持ってないぞ。
どうやらその委任状とやらがないと、登録してもらえないらしく。
それと同時に、登録用の印鑑と、それから、代理人である私の印鑑が一緒ではマズイらしく、それをとりに帰ることに。
委任状とやらは一部貰った。
そんでもって、家で、妻の筆跡をそれなりに真似して、もう一度持っていった。

登録は完了した。

…でも。

結局のところ、印鑑証明を受け取ることが出来るのは、本人だけらしく。
その委任状とやらも結局、『代理人さんが登録してくれましたから、本人様が取りに来てください』という証明を、家へ送りつけるためのクッションの役目だけみたいなのよ。

なんだよ、結局本人じゃなきゃ最終的には貰えないんじゃん。
だったら始めから言ってくれれば、昼も抜いて、仕事場にも遅刻の旨を申し出てまでやらなくても良かったのに…

葬儀は終わっても、まだまだなにかとあるらしく、妻はまだ帰ってきていません。



明日の土曜はやっと休み。
こないだまで大連休だったわけで、だからこそ『やっと』という表現は変なのかもしれないけど、いやいや、疲れたよ。かなり。
明日は雨だし、やらなきゃいけないこともあるんで、まずはゆっくり眠ってから、昼頃に始動しようと思っております。



もうここは、お義父さん見れなかった、続きの世界。

まだまだ続けて見せます。



俺の続きの世界は、誰が見てくれるんだろうか。ふと気になったりした。
行動記 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ようすけもほしいかな(BlogPet)

楊楊は迷走がほしいな。
ようすけもほしいかな?

*このエントリは、ブログペットの「楊楊」が書きました。
未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 |

平成二十年の幕開け。

読者のみなさま、あけおめことよろ。
旧年中は大変お世話になりましたし、お世話しました。
今年もお世話したりされたりしましょう。

先ほど帰ってきました。
仕事終わってから、アサヌマ君と、軽く呑みに行っておりまして。
行ってきた小樽食堂はたぶん、二回目はないわ。むう。

もう20年ですよ。平成。

そりゃあ、いろいろあるはずです。

これからも、そのいろいろを作っていきたいと思う所存。

よろしく。

平成二十年の幕開け。…の続きを読む
あいさつ | コメント:0 | トラックバック:0 |
| HOME |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。